デオン伝説

貧しい村があった。
ある秋、とうとう村の田畑は殆ど実りをつけなかった。
「このままでは村の皆が飢えて死んでしまう」
村で唯一の若者は、豊かな実りをつけるという黄金の麦穂を求めて旅立った。

黄金の麦穂は流転竜・マーロードの神殿にあると言われていた。
若者は神殿を目指した。
途中、食料もつき、空腹で歩いていると山野で一頭の鹿と出会った。
鹿の毛並みは美しく、その瞳は瑞々しく澄んでいた。
「きっと流転竜・マーロードが遣わしてくださったに違いない」
腹の減っていた若者はこれに感謝し、殺してその肉を食らった。

そして若者は西にあるマーロードの神殿の扉を叩いた。
「流転竜・マーロードよ、どうか哀れんでください。
 私の村は貧しく、麦の実は小さく、その穂は鼠の尾のようです。
 流転竜・マーロードよ、どうか黄金の麦穂を分けてください」
「ああ、若者よ。私はあなたを哀れもう。
 可愛らしい我が息子よ。扉を開けてお入りなさい」

マーロードの神殿は、冥府へと続いていた。
「おお、罪深き者よ。私はあなたを罰しよう。
 その命の灯に水を濯いで消し、その罪を雪ごう」
「流転竜よ、私がどんな罪を犯したというのですか」
「あなたは無垢な命を奪った。それがあなたの罪だ」
若者はすぐに旅路で殺した鹿のことを思い出しました。
「流転竜よ、あの時あの鹿を食べていなければ、私は飢えて死んでいたでしょう。
 私はあの鹿を敬い、祈りを捧げて屠りました。
 その血肉は我が血肉となり、角は我が剣の柄となり、皮は我が衣となりました。
 その命は決して無駄にしておりません」
マーロードの怒りは静まった。
「良かろう、若者よ。お前の魂は清らかだ。
 ただ一度冥府に来た者は流転を終えるまではここを出られぬ。
 とは言え、責め苦は与えぬ。時が来たらここから出してやろう」
「おお、流転竜・マーロードよ、それでは困るのです。
 私の故郷はとても貧しく、このままではとても冬を越せません」
「残念だが我が息子よ、それはできない話だ」
若者は大いに嘆いた。

しかし、若者はすぐに立ち上がり、剣を握り締め、英雄竜に祈りを捧げた。
「扉をくぐってここへ来たのだ。扉をくぐればここから出られよう」
自らを奮い立たせ、冥府を彷徨い出した。

冥府を彷徨い出してからどれだけの時が経ったのか。
若者の顎には髭が生え、その髪は獅子のようになっていた。
ひび割れた爪の間からは血が流れ、かじかんだ指を食んで飢えを凌いだ。
「もし、若者よ」
ある時、若者に声がかかった。
若者がそちらを見ると、美しい鹿が光をまとってそこにいた。
若者が屠ったあの鹿である。
「私は地平竜・アーシャの命で来た。
 あなたの天命はまだ尽きていない。
 摂理に反し、ここにいることは許されない」
「しかし地平竜の遣いよ、私はここに囚われているのです」
「ならば私の後に続きなさい」

鹿に導かれ、若者は冥府の最果てに立つ。
そこには若者が冥府に入る時にくぐった門と瓜二つの門があった。
若者はそれまで足を引きずって歩いていたが、飛び上がって喜び、門に飛びついた。
しかし門には鍵がかかっている。
「若者よ、これを使いなさい」
鹿がぶるりと頭を振ると、その東の目から眼が落ちた。
途端、冥府に光が満ち満ちた。
昏き道を永く歩いていた若者の目は焼け爛れ、その痛みで若者はのた打ち回る。
鹿は朗々と告げる。
「我が体はアーシャより賜りもの。
 そして我が西の目はマーロードの光、我が東の目はミトレアスの光である。
 この門にミトレアスの栄光あれ。
 私はこれより西へと赴き、西の門にマーロードの徴をほどこす」
鹿はそう言うと、蹄の音高く西へと駆けていった。

若者は盲目となったが、暗闇の中でもミトレアスの光だけはしっかりと見えた。
若者はおそるおそるミトレアスの光を手に取った。
光はほんの僅かに温かく、冥府を彷徨い疲れ果てた若者の心に光を取り戻した。

その時である、若者はふと、麦の穂の香りに気がついた。
豊潤な土の匂い、そして頬を撫でる優しい風。豊かな実りの風である。
盲目の若者は風を辿って、その実りを掴んだ。
ああ! 何とまるまると太った麦穂だろう!
まるで豊かな金糸の髪の乙女のようだ! (*1)
若者は痩せた大地の遠い故郷に想いを馳せ、涙した。
それからえいやと手に掴めるだけの麦穂を掴み、引きちぎった。

するとどうだろう。まるで自分の身が引き裂かれたような痛みが若者を襲った。
そして若者のものなのか、それとも別の存在のものなのか判別としない叫びが冥府に響き渡った。
「痛い! 痛い! とても痛い!」
「呪われろ! 呪われろ、盗人め!」
「あなたは神の宝に手をかけた!」
言い得もしない冷気が突然若者を襲った。
若者は慌てて門に取って返し、ミストレアスの光を掲げた。
「門よ、門よ、どうか開いておくれ!
 ミストレアスの栄光あれ!」
ゆっくりと門が開いていく。光が差し込んでくる。
冷気に身が凍る前にと若者はその光に飛び込んだのだった。

その若者の名はデオンといった。
デオンには妻がいた。名をマイトレイアという。

マイトレアは遥か遠くに旅立った夫を待っていた。
冬が過ぎ、春が来た。夏が来て、秋が去った。
多くの人が飢えて死に、多くの人が醜く争って殺し合った。
マイトレアは己の食べるものはなく、着るものも奪われ、
ただ命の輝きのみを己の手に生きていた。

そして次の春、デオンは戻ってきた。
「ああ、あなた! なんと労しい。
 その肌はまるで荒野のよう、
 その髪はまるで枯れたすすきのよう、
 その目はまるで鳥に啄ばまれた果実のよう、
 その手足はまるで打ち捨てられた櫂のよう」
「おお、マイトレイアよ。愛しき我が妻。
 さあ、これが約束の麦穂である。
 これを田畑に植え、耕しなさい。
 大地に感謝し、月と太陽を敬い、来たるべき日まで耕しなさい。
 来たるべき日、一度光は失われるが、私達は再び永遠の命を得る」

マイトレイアは言われた通りに耕した。
56億7000万年の間、耕し続けた。
そして56億7000万年の後、空を裂いて天の遣いが現れ、うたった。
「見よ! 見よ! 日が落ちる! 日が沈む! そして再び日が昇る!
 営みよ! この世と人の営みよ! 今こそ巡る! 永遠の時を!
 今こそ原初の魂の不滅の時をその手に取り戻さん!」

こうして、再び命は永遠となった。

  • 最終更新:2018-02-14 13:11:03

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